well-being?

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well-being/ウェルビーイングとは…

 

主観的に 健康で幸福で、満たされ、心地よく、人生の質に満足している状態のこと。
身体的、物理的、社会的、精神的、および発展と活動の側面を含む。

― Waddel and Burton (2006)

 

well-being/ウェルビーイングとは、ただの『幸福』や一時の満足ではなく、人は自分の人生の充実や幸福を追い求めることが大前提であることから、健康で満たされつつ、社会とつながりあいながら身体、精神、物理、自己成長などあらゆる面で「より良い状態」を求められること。さらに社会システムや法律などが、その、人としての権利を永続的にしっかりと支えている状態を指します。筆者はわかりやすく簡単に「より良く生きる」と訳すこともありますが、この「より良く」がポイントです。
このwell-beingは今や、GDPに代わる「ゆたかさ」の指標として世界基準で使われようとしている概念であり、(World Economic Forum, 2014)「ただ経済的に豊かになることだけが、必ずしも人の幸せや満足につながるわけではない」という現代の学びから、これからは常に内面的な進歩を考えていかなければならないフェーズにきていることを、私たちに示唆しています。

そして人の生活が多様化した現在、「主観的な価値基準」であるwell-beingの在り方もまた、様々です。

生まれや状態、環境などに関わらず、すべての人には幸福を求める権利があり、例えばマイノリティーであるがゆえにその権利を蔑ろにされてしまうというのは、決してあってはならないことですし、逆に表層的に何も問題がないからといって、これ以上の幸福を求められないというわけでもまったくありません。

人の間に社会は存在していますから、自分のアイデンティティーも含め、多様な他者への理解と知識を深めてこそ、自らも心地よく自由に生きられる場所を作れるという戒めでもあります。社会を構成する大人であればなおさら、自分や人の幸福に対して、受け身であっては実現できないのです。

 

はたらく人のwell-beingとは

 

仕事が理由で、肉体的・精神的に調子を崩してしまうことは、悲しいですが、たいへん多くみられます。ブラック企業という言葉もよく聞かれますが、ブラックと呼ばれることがなくても、心身の健康を害する状態の職場は多々あり、日本の自殺率の高さとも決して無関係ではないでしょう。本来人を豊かにしてくれたり、やりがいや成長を与えてくれるはずの「仕事」「職場」が人を傷つけてしまうというのは、まったく理不尽でしかありません。

2015年末に、ストレスチェック制度が施行され、50名を超す従業員を有する事業所に対し、メンタル状態のチェックと改善措置が義務付けられるようになりました。

これは、うつ病性障害などによる生産性低下(うつ病性障害の疾病費用総額は2008年に約3 兆円、うち欠勤など生産性低下や非就業などによる経済損失は2 兆円を超えるとされる:学校法人慶應義塾, 2011)が無視できないほど顕著になってきたことのほか、OECDで最下位だと悪評高い日本の職場の、うつ病に関する理解度とケア制度の質の低さを改善するためであると思われます。

 

しかし、「うつ病にならない」「人が病まない」ことがwell-beingの基準なのではありません。人が病まず健康に働けることが大前提でありながら、その先の多様なニーズにも踏み込むのがwell-beingです。

内面的発展のフェーズに移っている近年、多くの機関が職場のwell-being(well-being at the workplace)の定義について研究をしていますが、

①職への満足感

②良好でフェアな就労状態

③仕事の質と仕事における健康(精神的・肉体的・社会的)

― European Agency for Safety and Health at Work (2013)

健康状態や就労条件についてきっちり語るものもあれば、

①主観的…やりがいや満足、組織に影響を与えること、組織の一員として責任感を持てることなど

②幸福的…仲間として必要とされること、積極参加すること、仕事が成功すること、意味がある・助けになれること、情熱をもっている状態であることなど

③社会的…社会とのかかわりなど

― Chen and Cooper (2004)

あるいはその先の精神面での状態を重視しているものもあります。

これらは、別のことを述べているというより、語る段階に差があるのだと思われます。

 

少し古いですが、日本でもよく知られるMaslow(1954)の(社会における)人間の五段階欲求(①生命維持→②安全→③帰属→④自信→⑤自己実現)を『仕事における欲求』にそのまま試しに当てはめてみると、以下のようになります。

 

人生における欲求として、基本的にひとつのレベルが満たされてから次の上位レベルに移行し、頂点「自己実現」ではさらにその向上を追い求め続けるとされる(Maslow, 1954)

 

①は空気や水、塩、砂糖…などがあり、人間として生命活動ができるレベル、②は生命を脅かされることなく生活ができる、つまり給料が得られ、生活を維持できる、心身ともに(活動できるほど)健康である状態はこの段階です。

そこから、③④⑤内面的な充足のステップに入ります。段階的と言えどこの5つは相互に関わり合い、完全に分断されるわけではなく、たとえば給与が満足に出ない状態では、その先にある「仲間と目的や意思を共有」や、仕事を通しての自信や成長につながりにくいように、ある程度の優先関係はあると考えられます。

マズローは最上位⑤「自己実現」に達した後その一層の充実を求め続けるとしましたが、筆者は近年のwell-being傾向としては「⑤を追い求めつつも、④以下のレベルも関連的に上昇することを望むのではないか」と考えます。QoL(クオリティオブライフ、生活の質の向上)というものが現在では広く認識されているように、まず基本的に健康で満たされていることは大前提でありながら、より上位レベルを発展させる中で、それを支える健康や満足への要求度もより増していくはずです。

 

人が自らの幸福を追い求める生き物である限り、well-beingの追求にも終わりはありません。ここまでしたら満足という到達点はおそらくなく、そのために、人々は自分や他者の幸福と実現について、常にアップデートし、考え続ける必要があります。これは「ダイバーシティ(多様性)を実現する社会」と同義であるといえます。

well-beingという概念は「あなたの幸せとは?」と問いかけるようなものですから、とても意味合いが広く、画一化や評価のしにくいものになっています。(筆者自身の描いた「well-being at the workplace」 の要素はこのように(png画像ファイル)なっています)

上記のようにある程度カテゴライズできる場合もあるので、OECDや国連なども独自の基準を設けてはいますが(例:Better Life IndexWorld Happiness Report)、大切なのは「主観的な感覚であること」です。
先ほども述べたように、必ずしも金銭的な豊かさが「個人的な幸せ」に100%つながるわけではなく、どう感じるかは100人いれば100通りの幸せの在り方があり、well-beingという概念は、それぞれの個人がそれぞれの幸せを求め、実現することを根本から認めるものであり、社会システムや会社組織の枠組みにも、その権利の保護と実現の促進を求めます。

これが、現在よく言われているような「ワークライフバランス」「QoL」「働き方改革」にも関連しており、福利厚生や労働の制度などについて、現在たくさんの企業が改善に取り組んでいますが、単に右ならえで一定のシステムをつくることだけがwell-beingや改革につながるのではなく、社員個人個人の主観的なニーズ、生き方、または特色ある組織としてのwell-beingを前提としたうえに、本当に必要な制度や補償を見極め制定するほうがより効果的であるといえます。

 

労働法を守る

 

社員の幸福ために、どうしたらいいかわからないという場合もあるかと思いますが、筆者は、まずするべきこととしては「労働法を守る以上のことはない」と考えています。労働基準法労働安全衛生法など労働法は、力を持つ大きな組織に対し、立場の弱い存在である労働者を守るもので、それを遵守することこそが、従業員を組織と対等な存在として尊重している大きな証になります。

よく読むと場合により実現が厳しいこともあるかと思います。基準を満たしていないのであれば、労働時間や待遇などできることから改善をしてゆくだけで従業員にとって信頼に足る組織となってゆくはずで、その先については上記のピラミッドの図のように、その都度、次のレベルでの発展のヒントが段階的に見えてくるかと思われます。

 

労働基準法より抜粋

(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
○2  この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。
(労働条件の決定)
第二条  労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
○2  労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。
(均等待遇)
第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。
(男女同一賃金の原則)
第四条  使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。・・・・

労働安全衛生法より抜粋

第七十一条の二  事業者は、事業場における安全衛生の水準の向上を図るため、次の措置を継続的かつ計画的に講ずることにより、快適な職場環境を形成するように努めなければならない。
一  作業環境を快適な状態に維持管理するための措置
二  労働者の従事する作業について、その方法を改善するための措置
三  作業に従事することによる労働者の疲労を回復するための施設又は設備の設置又は整備
四  前三号に掲げるもののほか、快適な職場環境を形成するため必要な措置・・・・

 

多様性の尊重とwell-being

 

上でwell-beingの実現に匹敵する要素と述べ、労働法にも少し触れている箇所はありますが、人間の多様性について最低限の知識を有し配慮するのも大切なことです。

多様性…ダイバーシティは主に二種類に分けられ、ひとつはデモグラフィック・ダイバーシティdemographic diversity (人口統計学的多様性)…文化・人種・言語・障がい・年・性別・社会的地位・宗教や地域による違いであり、もうひとつは社会的あるいは技術的なものを含む専門的能力や職能abilities and skillsのカテゴリー分けにできるとされ(Johnson & Johnson, 2014)、このふたつに関連するトピックはたとえば以下のようになります。

デモグラフィック

  • セクシャルマイノリティーについて
  • 性差や性に関わる特徴について
  • 結婚や出産の選択について
  • 国や地域の文化、生まれや習慣について
  • 言語について
  • 宗教、信教について
  • 身体障がいについて
  • 精神疾患について
  • 難病やおもな疾病について
  • 身体的特徴やアレルギーなどについて

能力や職能

  • 仕事や働き方の特性について
  • 仕事に対する価値観などについて
  • 職能的向き・不向きについて
  • 知識や技術の学び方・(言葉など)表現スタイルの傾向について
  • 個人的・学業的・職業的な経験およびキャリアについて

 

ここではカテゴライズが難しい個人の性格やユニークさを除外していますが、これも大変重要な要素です。大まかに、表層的(目に見える、人種性別など人口統計的多様性)と、深層的(目に見えない、能力や性格などの多様性)という二種類に分ける研究者もいます。いずれにしてたくさんの組み合わせ結果ができるため、小さな社会である会社は、いかにバラエティーに富む人材を扱っているか用意に想像できるかと思います。同じ制服を着ていたとしても、同じ会社に通っていても、その実はかなり違うのです。

 

多様性の中の平等の意味と、公正(フェア)であること

 

人の多様性について、ある程度の知識は必要であると述べました。とくに性別や宗教、障がいなど前半のデモグラフィックな多様性については、知識のあるなしで多様性の実現についても差が出ますし、知らず知らずのうちに誤解をしていたり、社員の心を傷つけたりということを抑止できるでしょう。

しかし、それだけで十分ではないのは、人の多様性というのは性格など内面的なものも含めれば人の数だけあり、幸福というのは100%主観的なものですから、「この人はこのカテゴリーに属しているから、こうしておけばよいだろう」が全員に通用するわけではないということです。

その時に「人を活かせる」組織としてあるべき大前提の姿勢は、イクイティequity…公正さ/多様性の中での平等の実現、口語的にいえば「誰もを人としてフェアに扱う」ということにつきます。
女性として、LGBTとして、障がい者として、外国人として…などではなく、個性を持った「人」として権利や個性を尊重し、違いの中での平等の実現につとめるフェアさが、真のダイバーシティとwell-beingの体現には不可欠です。あくまでカテゴリーはカテゴリーであり、人を社会便宜的に分けただけにすぎません。簡単に見えてとてもとても難しい、「まっとうに人としてフェアに扱われる」以上に望まれるものはないでしょう。
ここで平等というのは、とくに日本では誤解をされることが多いのですが、社会正義的には、「違う人をまったく同じように扱う」ことではなく「人の間にあるギャップを、結果として平等になるように扱う」ことで、筆者はこれをよりわかりやすいように「公正さ」や「フェアさ」とよく表現します。

平等・フェアさとは

 

上の図のように、ひとつの局面でAと比較して明らかにBにハンディがあるとしたら、何らかの配慮やサポートを与えることで二者の結果が平等になるように務めることが、フェアさです。たとえていうなら、車椅子の社員がいる場合にスロープや障がい者用トイレを設置することは、同じ社内の人間に対して違う扱いではありますが、まったく公正な処置といえます。
あるいはまた、よく物議をかもしている「男女平等」という言葉も、これとまったく同じ意義、平等の実現としての公正さでとらえると印象が変わってきますが、筆者は男・女でとらえるよりも「人間平等」と大枠で考えたほうが、性差でおさまらない個人差を補うことができ、よりフェアな平等の実現が可能だと考えています。

 

人はみな、生まれや状況は違えど、なにか不足があれば社会がそれを補ってくれるというまったく同じ権利を持っているという意味で、平等です。
生まれや育ち、身体的特徴や特性は自分で選べません。そのギャップを補って、個人がより幸福でいられるよう平等の実現を目指すものが社会であり、その人権はいかなる国や権力すらも奪えないものとして国連に定められています。当然、社会を構成する重要な組織である企業にもその責任は必ずあります。

 

このフェアさというのもまた、従業員が活き活きといられるために信頼関係を作る意味でも大変重要なキーワードです。社会がそうあるべきであるように、従業員を守り、公正な雇用関係を保ち、公正に評価し、不当に差別をしないこと。成績によって厳しく公正に評価判断をしたとしても、たとえば私情を挟み、性格の相性などを理由として待遇に差をつけないこと。

企業によって色は変わってきますので、法や倫理を守る以外に一概には言えませんが、様々な局面で、「これは果たしてフェアな判断だろうか」と自問すべきであり、組織として健康に存続する(well-being)のために従業員に対しても、情報を偽らない、期限を守る、必要な健康診断の結果を提出するなど、労使の公正な関係性のための義務を果たすことを求める必要があります。

 

さいごに

 

ごく簡単ではありますが、職場におけるwell-beingやそれにまつわる多様性、フェアさなどにキーワードについて解説させていただきました。

  • 「well-being」…より良く生きることとは何か
  • 労働者を保護する「労働法」を守ること
  • 主観的幸福であるwell-beingと密接に関係する「多様性」について
  • 多様性の実現に欠かせない、「フェアさ」「平等」の意味

 

20-30年前と比べ、同じ価値観でものごとを測ることに無理がでるようになってきました。これは人の内面が変わったというよりは、インターネットの普及もあり、それまで押さえつけられていたものやユニークさが表層に出ているということなのだと思います。以前よりも人は生き方の選択肢を増やし、より自分に合った在り方を追求できるようになったぶん、「思わず人を傷つけてしまう」「人権や尊厳が傷つけられたと感じる」ことも、より認識しやすく顕著になっているはずです。

 

自分の自由や尊厳を守るのと同じように、他人の権利も意識的に守ってゆく、「隣にいるこの人は自分とは価値観が違うかもしれない」という尊重と場合により配慮が必要ですが、人と会社は共栄共存とするなら、それは同時に仕事という共通の目的、場を与えることによって人々が協働し、多様性を活かすことで相乗的な価値を得られることや、それによる個人ベースのやりがいやつながり感、幸福、自己成長という大きな可能性にもつながる貴重な機会です。
現代で多くの人が感じる「生きづらさ」は、人の持つユニークさが飛び出したがっている、成長の時である証かもしれません。変化を自然なものとして考え、今ここで本当に人の幸せを丁寧に考えてこそ、殻がやぶれるのだと思います。生きづらいのであれば、自分が動かなければ、負の習慣は自分たちのみならず、子世代も含めずっと後輩たちに引き継がれてしまいます。

 

より多くの企業が大切な従業員の方々と共に、仕事を通し「個と全を活かす」well-beingの必要性を理解し実現を成し、発展をしてゆき、少しでも生きやすく幸福で豊かな世の中になってゆくことを、心から願っています。
著:おおばやしあや

(随時加筆修正中です)

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